レールの敷かれた人生は嫌だ!なんて言ってるアホな就活生へ

有名進学校出身、有名大学出身で「レールの敷かれた人生なんてまっぴらだ!」と言って大学を辞めたり、就職活動を放棄する人間はよくいます。
僕の周りにもそういう人間は大勢いました。

その中で成功している人間もいれば、レールから降りたことに後悔している人間もいますが、概して厳しい人生になってしまった人がほとんどです。

正直、敷かれたレールに乗ることは非常に難しいですし、同世代の大勢がレールから脱落していく中でわざわざ自分からレールを降りるなんて勿体無いと思わずにいられません。

レールから脱落するよりもレールに乗っていくほうがよっぽど難しいのです。

そして、たいていの場合レールにしがみついてそのまま乗っていったほうが安定、高給、自由、幸せな人生を謳歌できます。

しかし、それがわからない学生・就活生がなんと多いことか!

なんだか訳も分からずせっかく頑張って入学した大学を退学、もしくは就活を放棄して一度乗ったレールを外れてしまい、ワーキングプアになってしまう人間が多いです。

ということで本日は、敷かれたレールに幼少期から乗っていくことの難しさ、そしてレールの終点まで頑張って歩み切ることの重要性についてお話したいと思います。

 

敷かれたレールに乗り続けることの難しさ

生まれた家庭によって敷かれたレールというのは違うと思います。
両親が医者であれば医者になることが敷かれたレールかもしれないし、両親が起業家ならば起業家になることが敷かれたレールかもしれません。

今回の記事ではそういった特殊なレールは無視して、小中高と普通に学校に通い、まともな大学へ入学し、企業へ就職するという世間一般での敷かれたレールを前提にしてお話したいと思います。

つまり、履歴書でいう学歴に傷が無い状態です。
停学退学経験ナシのまともな大学卒業見込みというレールです。

こうしたレールに乗った人間が同世代にどれほどいるかを具体的に見てみましょう。

 

まともな大学に入学する同世代の割合

まず、まともな大学の定義をしたいと思います。

まともな教育を受けて、まともに受験勉強していればまともな大学にいけるわけですが、ここではまともな大学の定義を偏差値60以上の大学としたいと思います。

偏差値60がどのくらいの大学レベルかというと、東京で言えばMARCHと呼ばれる大学郡が偏差値60台にあたります。関西でいえば関関同立クラスですね。
明治とか青学レベルの大学に行けるならばまともな教育を受けてまともに受験勉強をしてきたと世間ではみなされるので、敷かれたレールに乗ってきたと言えるでしょう。

それでは、偏差値60以上のまともな大学にいける人間が同世代にどれほどいるか見てみましょう。

 

同世代の大学進学率

文部省が発表している学校基本調査と総務省統計局の【e-Stat内「基幹統計から探す(統計分野表示)」】の学校基本調査によると、短期大学を除いた大学進学率は男女合わせて52%でした。(過年度高卒者、いわゆる浪人生を含む)

すなわち、四年制大学へ進むのは同世代の52%程度ということです。

さらに、この中から偏差値60以上のまともな大学に行く人間というのはどのくらいの割合でしょうか?

 

同世代でまともな大学へ進学する人間の割合

さきほど、まともな大学を偏差値60以上の大学と定義しました。

偏差値60以上の割合は、正規分布であれば大学受験人口全体の約15%です。
全大学受験生のうち約15%程度しか偏差値60以上のまともな大学にいけないのです。

では、同世代で見ればどうでしょうか?同世代のうち52%が大学へ進学し、そのうちの15%がまともな大学に行くわけですから、同世代でまともな大学へいける人間の割合は

0.52×0.15×100
=7.8%

いかがでしょうか?

「レールに敷かれた人生を歩む」という定義を「偏差値60以上のまともな大学へ行くこと」と捉えれば、同世代の実に7%程度しか敷かれたレールを歩む人生を送っていないのです。

こう考えれば、敷かれたレールを歩んで良い大学へ進学するというのがいかに困難な道であるかおわかりでしょう?

逆に考えれば同世代の92%が敷かれたレールから脱落した人生を歩んでいるわけです。こう考えると敷かれたレールを歩んでいる人のほうがレールから外れているような錯覚さえ起きてしまいますよねw

 

「まともな四大卒資格」というプレミアチケット

そして、ここまでの話はまともな大学へ入学するまでのお話でした。

しかし、このようにまともな大学に入学した人たち全員が大学を中退せずに大卒資格を手に入れて、企業に新卒として入社するわけではありません。

中には途中で退学したり、卒業できなかったりとさらにレールから外れる人は大勢います。

こう考えれば、まともな大学を卒業するというレールを歩むのがいかにハードワークかおわかりでしょうか???

偏差値60以上のまともな大学に行くには同世代の中でも上位7%に入れるほどの要領のよさ、努力が必要なのです。
さらに、その大学を卒業するには単位を取らねばならないので、そこでもまた要領のよさと努力が必要になってきます。

こうして頑張って手に入れた「まともな四大卒資格」という肩書き、活かさなければ勿体無いと思いませんか?
なんせ、「まともな四大卒資格」を手に入れられるのは同世代の7%程度しかいないんですから。

いわば「まともな四大卒資格」というのは敷かれたレールから振り落とされずに努力することができた証明なのです。

だからこそ、企業は新卒採用のときに学歴を高校から大学まで見るのです。まともな大学を卒業見込であれば、

「おっ、こいつはちゃんとレールから外れずに真っ当に生きてきた人間なんだな。ということは努力もできるし要領もいい人間だ。うちの会社に入っても最低限やっていけそうだ。」

となるわけです。

つまり「まともな四大卒資格」というのは世間から認めてもらうための資格であり、まともな企業に入社できるプレミアチケットといえるのです。

大した理由も無くこのプレミアチケットを活かさない理由はあるでしょうか?

プレミアチケットを放棄してしまえば、まともな企業に入社するのは一気に困難になってしまいます。

 

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敷かれたレールから外れるということ

ここまで見てきたことから、敷かれたレールを外れるということがどのようなことかおわかりいただけたでしょうか?

大学を中退するように、敷かれたレールを外れるということは今まで良い大学に入るために必死になってやってきた努力を全て灰燼に帰すという意味になるのです。

そして、今まで親が支払ってくれた教育費なども全て無駄にすることになります。

もちろん世間体も悪くなりますし、一度レールから外れたら余程の才能が無い限りは二度と元のレールに戻ることは不可能です。

日本は失敗者に対して厳しい国です。一度レールから外れたらそれまでどんなに優秀な経歴であろうと、再びレールに戻れることはありません。

レールから外れてしまえば、その先はタモリや堺雅人のようにレール外の道で成功を収めるか、まともでない零細企業で低年収に喘ぐ道しかありません。

自分は必ず成功者になれる!という確固たる自信があれば別ですが、そうでなければ安易にレールから外れるのはいかがなものでしょうか。

せっかく今まで真面目に努力してレールに乗った生活を送ることができているのであれば、そのままレールに乗っていくのが最も賢い生き方です。

余程のやりたいことがあれば別ですが、大した理由無く大学を退学したり、就活を放棄することは愚の骨頂です。

正直、自分からレールを外れようと思えばいつでも簡単に外れることができます。

どうせレールから外れるのであれば一度プラチナチケットを利用してまともな企業に入社しておくほうが今後の人生の糧にもなると思いませんか?

不思議なことに、まともな大学からまともな会社に一度入社してしまえば、仮にそこを辞めたとしてもまた別のまともな会社に戻ることができます。
(大手企業は新卒でないと入社するのは難しいですが)

まともな大学を卒業して新卒でまともな会社に入社したという経歴が、その人を再びまともな社会に呼び戻すのです。

 

レールの終点はどこか

ここからは先の見えない話になるのですが、ぶっちゃけ敷かれたレールの終点というのは普通の人で言えば良い会社に入社するまでのことです。

良い会社に入社してから先のレールはありません。

まあ、会社の中でも見えない出世ルートが存在していて~なんて話がありますが、そんなのはこの少子高齢化時代、どこまで存在するかわかったもんじゃありません。

ホリエモンはかつて近畿大学の卒業スピーチの中で、こう語っています。

「ついに皆さん、これまで生まれてから20何年間か、レールの敷かれた上をただ走ってきた人生をここで終えることになります。
これからは、レールがあるようでレールのない世界に皆さん突入していくことになると思います。

これまでは、卒業したあと就職活動とかまぁたぶんしたんでしょうけど、同じ会社でずーっと勤め上げて定年退職して、その間に家族を持って家を建ててみたいな、いわゆる普通の生活というのをこのあと皆さんは送っていくことになったのかもしれませんが、そんな未来は、おそらくみなさんのうちの本当にごく一部の人しかそういった未来を歩まない、いや、歩めないと思います。」(ホリエモン、近畿大学のスピーチより抜粋)

これは間違いなくそうで、この先の人生は何があるかわからないし、社会に出てからは文字通りレールがあるようで無い世界を歩んでいくことになります。

いや、というよりレールを自分から作っていく世界へ突入する、といったほうが正しいでしょうか。

つまりは、大学を卒業してどこかの組織に所属し、自分が「何者」かになれた時点でレールに敷かれた人生は終わりを告げるのです。

 

レールの終点までは歩みきるべき

今まで真面目に努力してまともな大学に所属しているならば、レールの終点はすぐそこです。

レールの終点がすぐそこならば終点まで到着しておくべきだと思うのです。

ぶっちゃけ、レールの終点まで到着しておけば後は自分の努力次第でどうにでもなります。

「まともな四大卒資格」を有し、「まともな会社」に一度所属してみる。
それがレールの終点です。

ここまでやっておけば、社会的にも「ああ、この人はちゃんと努力して真面目に敷かれたレールを歩みきったんだな」と認められるのです。

やりたいことがあればレールの終点に到着してからやっても問題ないでしょう。
(ただし、やりたいことは30歳までにやっておくのがベスト)

レールの終点直前になんだかおかしな感情が働いて大学を退学し、今までの努力を全て水の泡にするのは勿体無いです。

よっぽどの覚悟と成功する算段がなければわざわざ挑戦することもないでしょう。

「レールに敷かれた人生なんかまっぴらだ!」

と言ってレールから降りてしまうのは簡単ですが、一度降りてしまうと二度と元のレールには戻れません。

せっかく頑張って良い大学に入っているんだから、訳の分からない感情で今までの努力を無駄にするのはやめましょう。

やりたいことがあっても一度人生のレールを終点まで歩み切っておいて、そこからやりたいことをやっても長い人生、遅いことはないのではないでしょうか?

もしくは、レールに乗ったままやりたいことをやるのもまた賢い生き方なのではないでしょうか?

 

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コメント

  1. 名無しの大学生 より:

    “まともなレール”を歩める人が全人口の7%くらいしかいなくて外れたら厳しい目線に晒されるって痛烈な皮肉ですね。
    まともなレールいいですね。頑張って歩んでいきます。

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