努力できない人間はクズ?いえ、努力を強要する上司や会社がクソなんです

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「頑張ろうと思っても、ついダラダラしてしまう…」

「努力しようと思ってもできない自分は、クズ人間なんだろうか….?」

こんな悩みを抱えている方も多いと思います。

しかし、ご安心ください。

この記事では、「やり抜く力」だの「努力の方法」だの、そんな意識の高いことを論じるつもりはさらさらありません。

 

努力できる人間がエライわけでもなければ、努力できない人間がダメというわけでもありません。

ただ単に、努力を強要する上司や会社がクソなんです。

そんなお話をしていければと思います。

 

というのも先日、僕のYouTubeチャンネルにて、こんなコメントをいただきました。

 

 

要約すると、

 

「仕事ができない奴は努力の仕方が間違っている。

きちんと努力をして結果を出している人がいるのだから、お前も努力すればできる。

できない奴は努力が足りない」

 

ということです。

みなさん、このような考えをどう思いますか?

ハッキリ言って、クソみたいな考えだと思いますし、こういう考えの会社や上司がいるからこそ、日本が生きづらくなっていると思うのです。

ということで、今回はこちらのコメントも踏まえつつ、「努力ができないのは悪いことではない」というお話をしていきます。

「努力ができる」のは才能であり、個人によって「努力ができる」の基準は異なる

まず、冒頭のYouTubeコメントの方の思考、僕はこれをとても危険な考えだと思っています。

この方の主張を一言でまとめれば、

 

「俺は努力してこれができるようになったんだから、お前もこれができるはずだ!」

 

というものになります。

(こういう上司、よくいますよねえ…)

 

さて、この理論を拡張すると、

 

「大谷翔平は努力してメジャーで成功したんだから、お前もできるはずだ」

 

という理論も成り立ってしまいます。

この理論については、誰にでも成り立つものではないということがお分かりになるのではないでしょうか?

日本のプロ野球選手でさえ、誰でもメジャーに行けるわけじゃないですからねw

 

しかし、こういう理論を展開してくる上司が日本には山ほど存在するのです。

優秀な上司ほど、「なんでこんなこともできないの?」などと言ってきますが、個人によって能力の差があるという残酷な事実を、彼らは理解していないのです。

 

そもそも、人によって「努力ができる」の基準は違います。

大谷翔平が努力をしてメジャーでホームランを40本打てるようになったとしても、僕らが同じ努力をしてメジャーリーガーになれるわけではありません。

 

つまり、「努力ができる」こともいわば「才能」なんです。

 

ですので、側から見て努力が足りないように見える人がいたとしても「もっと努力しろ」などとは言ってはいけません。

もしかしたら、その人は精一杯努力をしているのかもしれないからです。

努力をしているにも関わらず、結果が出ていないだけかもしれません。

つまり、努力は主観的なものであり、僕らが他人の努力を推し量ることなど不可能なのです。

 

この事実を理解していない人が多いからこそ、

 

「自分はこんなに努力しているのに、どうして優秀な上司のようになれないんだろう」

「こんなに努力しているのに、なぜ頭が良くならないんだろう」

 

などなどの悩みを抱えてしまうのです。

 

うつ病の人にとって、「散歩をする」ことは「超絶な努力」である

まだ理解が不足している方のために、もっと分かりやすい例を出しましょう。

僕が過去に書いたブログ「昇進した直後、うつ病で会社を休職…ヤバイと思ったら、今すぐ逃げるべき」では、実際にうつ病を患ってしまったA氏にインタビューをしました。

A氏は、うつ病になってからはスマホすら見ることができず、実家で寝たきりの状態が約1カ月も続きました。

その1ヶ月の間、A氏のすることといえば、ただただ親が作ってくれたご飯を食べて寝るだけ….

この状態、一般的に見たら「怠惰」と思う方もいるかもしれません。

「ちゃんと起きて本でも読め、散歩でもして健康的な生活を送れ!」

と言いたくなる人もいるでしょう。

 

しかし、ただ散歩をするだけでもA氏にとっては、「めちゃくちゃ努力」が必要なことだったのです。

A氏にとっては相当な努力をして、ようやく外へ足を踏み出し、散歩をすることができたのです。

 

このように、他人の努力を推し量ることは不可能なのです。

 

A氏がめちゃめちゃ努力をして散歩に出ることができたように、本人はとても努力しているにも関わらず、その努力が他人には見えにくい、という実態があるのです

 

ということで、「なんでこんなこともできないの?」「ちゃんと努力した?」と言ってくる上司は、他人のことを理解できない、自分の努力基準を他人に押し付けるクソ人間だと思えばいいのです。

そもそも、想定しているパフォーマンスを部下が出せないのは、採用した会社側の責任です。

潜在的なポテンシャルを考えて採用したのですから、本人のポテンシャルを引き出せなかった会社が悪いのです。

部下は何も悪くありません。

 

この事実を、みなさんはしっかり認識しておきましょう。

 

個人によって能力値は異なるという当たり前の事実を、みんなで認識していくべき

ここまでの主張をまとめると、要するに、

 

「個人によって能力値が異なる」という当たり前の事実を、みんなが改めて認識していくべき、ということです。

 

強いものが生き残り、弱いものが死ぬ….これは生物界では当たり前の常識なのです。

 

例えば、すごくわかりやすい例を挙げると、ポケモンです。

ポケモンのゲームをやったことがある方ならわかると思いますが、ポケモンは個体によって能力値が違います。

同じポケモンであっても、個体によって努力値も異なります。

(「努力値」=「そのポケモンの努力を数値化した値」)

 

努力値が高いポケモンは強くなりやすいです。

これは人間界でも同様で、努力に応ずる成長スピードは人によって異なります。

 

同じ努力をしたとて、運動神経が良い人と運動神経が悪い人とでは、運動ができるようになる成長スピードは異なるのです。

悲しきかな、これが現実です。

 

人間界では、誰一人として同じ人間はいません。

大谷翔平のように能力値がカンストした超優秀な個体が出現することもありますし、いくら努力しても何もできるようにならない個体が出現することもあります。

だからこそ、普通に生活していれば、人間界が格差社会になるのは当たり前のことなのです。

だって、個人によって能力値は異なるんですから。

 

ただ、人間界が生物界と異なるのは、「福祉」がある点です。

福祉によって、生物界では淘汰されるはずの弱い人間が「救済」されるための制度が整っています。

 

個体値が低い人間でも生きられるように設計されているのが、「人間社会」なんです。

 

その中でも、国の福祉制度や会社システムをズル賢く利用すれば、努力ができない人でも余裕に生き残れてしまうのが日本社会の特徴です。

一方で、資本主義大国である米国は最も生物界に近い社会であり、完全に弱肉強食の社会です。

 

生活保護や各種セーフティネットで手助けをしてくれる日本は、世界でも有数の弱者に優しい社会です。

 

ということで、日本で生きている限り、「努力ができない…優秀になれない…」なんて思い悩む必要はないんです。

 

「自分は他の人よりも優秀ではない」と思うのであれば、国のセーフティーネットを上手に活用して、人生を楽に過ごせばいいだけの話です。

働かないで、努力せずに楽に生きる方法について詳しくは別の記事に書いておりますので、興味のある方は是非ともご覧ください。

1ミリも働かないで、日本社会を楽に生きる方法

 

ではでは

 

ここまで記事を読んでいただきありがとうございました。


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